【ニュース】看護学生がへき地に行って保健師活動に触れてみた!


昨年6月に協会主催で開催した研修会に参加してくれた慶應義塾大学看護医療学部3年の島田宗太郎さん。研修会参加後に仲間たちと2泊3日の知夫村研修を企画しました。
その際の生き生きとした学びをみなさんにも共有します。大学生活だけでは得られないような経験や話を聞く機会を得て、「自分はどんなことに興味があるのか」「今後どんな仕事がしたいのか」といったことを考えるきっかけになったようです。(以下は抜粋になります)
島田さんは、当協会が実施した知夫村保健師さんのインタビューを記事にする際に文字起こしの作業も手伝ってくださいました。
 
☆研修全体の統括
 今回、私は初めて島で保健師の活動を実際に見学させていただいた。以前へき地保健師協会のお話や講義を受けており、へき地保健師というものがどのようなものなのかある程度は知っているつもりであったが実際に見学すると想像と違う点も多くあった。
 知夫村の保健活動は3人(村保健師2名と元村保健師で現集落支援員1名)で行われており、多人数で活動する難しさがなく、かつ役場の人数も本土と比べ少ないため意見が直接伝えられるなどPDCAサイクルをうまく回しやすい環境にあった。保健師メンバーも非常に仲が良く、島民をよく知る人たちで構成されており保健師同志での意見交換による情報の齟齬も少なそうであった。以前から伺っていた通り、へき地で働くということの難しさはもちろんあるようだがそれを上回るほどに素晴らしい環境であるように感じられた。
 島全体で感じた本土と異なる点は1人や1つの施設が複合的に役割を担っているという点だ。学校の複式学級や図書室が図書館として利用されていることなど多くの役割がある。人にしても3人の保健師が母子保健や教育、老年期など多くの保健活動に精通しており、担当以外の部分でもみんながある程度把握しているためお互いが少しずつ支えあうことが可能になっている。その代わり機能が1つに集約しているため、どれか1つでも欠けるとカバーが難しいという現状も見られた。医師が1人しかいないため、医師が出張中は医療行為が行えない、誰か専門職が体調を崩したり、冠婚葬祭などの重要な行事であっても代わりがいないため仕事に穴をあけることが難しくなってしまう。島では1人1人が重要な役割を担っている分責任も重大であると感じた。
 島の人々は本土と比べて持ちつ持たれつの関係が非常に強く、肉は商店、魚は漁師か釣りから、野菜は自家栽培と商店から、といったように自給自足と分け合いで生活している。私は島の生活が人と人とのつながりありきであるため、移住が少し難しくなっているのかもしれないと考えた。もともと住んでいた人のUターンや、専門職のIターン以外にはなかなか職を見つけることができず、住民になじむのもある程度時間がかかるはずである。それでも移住する人は少しずつ増えているのは知夫村の環境の良さや人々の温かさがあるからだろう。知夫村のようなケースは非常に珍しくかつとても魅力的であるように思った。
 今回の研修では非常に短い日程に知夫村の様々な事業を見学させていただいたが、まだ見学てきていないところや深く知りたいところなどが多くあった。保健師の活動内容は学ぶことができたが、最終日に保健師の方にお話しを伺った時に、実際に役場ではどのように働いているのか、事業をするにあたってどのように話を進めているのかなど、実務の面をより深く学んでみたいと感じた。今後保健師について自分なりに考察をしていき、今回の経験を今後の勉学に活かしていきたい。
photo by matsumoto tomoko

NPO法人へき地保健師協会

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